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平清盛と源義朝…保元の乱

平清盛と源義朝…保元の乱

大河ドラマの視聴率が悪いとか汚いと様々言われておりますが、
世界的にどの国も、当時の大都市は衛生面で良かったとは言えないのではないかと
私は思います。

時代考証的にはそうそうやり過ぎのようには思えないのでは…
特に衣裳はスゴイですね~

恐らく、当時の衣裳の生地からの再現をしているのではないかと…
貴族の衣裳はもとより、

庶民や武士の衣裳…麻、大麻、苧麻なのか…
冑や兜、太刀の装飾…
交易商品、当時の食事(貴族、武士、庶民)…

観るところは沢山あると思います

保元の乱

元々は、朝廷の皇位継承争いに平氏、源氏が代理戦争に駆り出されていたはずのものが、
徐々に武士の武力、財力により、
武士による統治国家樹立へ歩む切っ掛けとなる戦…

近衛天皇の死去の後、
翌年に鳥羽院の死去。

それにより勃発した
『保元の乱』…

かねてからの摂関家藤原内での内紛が皇位継承争いという形で表れた
それぞれの軍勢は…

後白河天皇派
藤原通憲(信西)
平清盛
源義朝(頼朝、義経の父 義朝の子の義平が義賢を討ったという河内源氏家督争いが元)
源義康

崇徳院派
藤原頼長
源為義(義朝の父)
源為朝(強弓の為朝は、義朝の兄弟)
平忠正(清盛の叔父)
平正弘

保元元年(1156)7月10日
鴨川を挟み、
西に後白河天皇陣営(東三条殿/高松殿)、
東に白河北殿/白河南殿かまえる崇徳院陣営…

双方、『夜討ち』の策を考えるも、崇徳院側の藤原頼長は、
手勢の少なさという劣勢という実体と
国政を掛けた戦に卑劣な戦法は使うべきではないとして
援軍(興福寺の悪僧)が到着するのを待つことに…

しかし、後白河天皇側の夜討ちによって保元の乱の火蓋が切られ、
源義朝焼き討ち、増援により後白河天皇側の勝利という形で保元の乱が終る。

その後、後白河天皇退位、換わって二条天皇即位
という信西の手回しの良さ、
そして、血縁者による官職の独占による不満が元で平清盛と源義朝が弓を交える
『平治の乱』(平治元年1159年12月)へと…

家紋(というより旗印や陣幕の印でしょうか)は

平清盛が揚羽蝶
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源義朝は (河内源氏)が笹竜胆
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by horigin | 2012-04-25 13:17 | 職人の思考と嗜好

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